四、大國主の命

兎と鰐

――これから出雲系の英雄大國主の神の神話になる。さまざまの神話を、一神の名のもとに寄せたものの如くである。――

 この大國主の命の兄弟は、澤山おいでになりました。しかし國は皆大國主の命にお讓り申しました。お讓り申し上げたわけは、その大勢の神がみな因幡いなばのヤガミひめと結婚しようという心があつて、一緒に因幡いなばに行きました。時に大國主の命に袋を負わせ從者として連れて行きました。そしてケタの埼に行きました時に裸になつた兎が伏しておりました。大勢の神がその兎に言いましたには、「お前はこの海水を浴びて風の吹くのに當つて高山の尾上おのえに寢ているとよい」と言いました。それでこの兎が大勢の神の教えた通りにして寢ておりました。ところがその海水のかわくままに身の皮が悉く風に吹きかれたから痛んで泣き伏しておりますと、最後に來た大國主の命がその兎を見て、「なんだつて泣き伏しているのですか」とお尋ねになつたので、兎が申しますよう、「わたくしは隱岐おきの島にいてこの國に渡りたいと思つていましたけれども渡るすべがございませんでしたから、海のわにあざむいて言いましたのは、わたしはあなたとどちらが一ぞくが多いかくらべて見ましよう。あなたは一族を悉く連れて來てこの島からケタのさきまで皆竝んで伏していらつしやい。わたしはその上を蹈んで走りながら勘定をして、わたしの一族とどちらが多いかということを知りましようと言いましたから、欺かれて竝んで伏している時に、わたくしはその上を蹈んで渡つて來て、今土におりようとする時に、お前はわたしにだまされたと言うか言わない時に、一番はしに伏していたわにがわたくしをつかまえてすつかり着物きものいでしまいました。それでこまつて泣いて悲しんでおりましたところ、先においでになつた大勢の神樣が、海水を浴びて風に當つて寢ておれとお教えになりましたからその教えの通りにしましたところすつかり身體からだをこわしました」と申しました。そこで大國主の命は、その兎にお教え遊ばされるには、「いそいであの水門に往つて、水で身體を洗つてその水門のがまの花粉を取つて、敷き散らしてその上にころがまわつたなら、お前の身はもとのはだのようにきつと治るだろう」とお教えになりました。依つて教えた通りにしましたから、その身はもとの通りになりました。これが因幡いなばの白兎というものです。今では兎神といつております。そこで兎が喜んで大國主の命に申しましたことには、「あの大勢の神はきつとヤガミ姫を得られないでしよう。袋を背負つておられても、きつとあなたが得るでしよう」と申しました。

赤貝姫と蛤貝姫

――前の兎と鰐の話と共に、古代醫療の方法について語つている説話である。――

 兎の言つた通り、ヤガミ姫は大勢の神に答えて「わたくしはあなたたちの言う事は聞きません。大國主の命と結婚しようと思います」と言いました。そこで大勢の神が怒つて、大國主の命を殺そうと相談して伯耆ほうきの國のテマの山本に行つて言いますには、「この山には赤いいのししがいる。わたしたちが追いくだすからお前が待ちうけて捕えろ。もしそうしないと、きつとお前を殺してしまう」と言つて、いのししに似ている大きな石を火で燒いてころがし落しました。そこで追い下して取ろうとする時に、その石に燒きつかれて死んでしまいました。そこで母の神が泣き悲しんで、天に上つて行つてカムムスビの神のもとに參りましたので、赤貝姫あかがいひめ蛤貝姫はまぐりひめとをつて生き還らしめなさいました。それで赤貝姫がしるしぼあつめ、蛤貝姫がこれを受けて母の乳汁として塗りましたから、りつぱな男になつて出歩であるくようになりました。

堅州國かたすくに

――これも異郷説話の一つで、王子の求婚説話の形を採つている。姫の父親から難題を課せられるが、姫の助力を得て解決する。――

 これをまた大勢の神が見てあざむいて山に連れて行つて、大きな樹を切り伏せて楔子くさびを打つておいて、その中に大國主の命をはいらせて、楔子くさびを打つて放つて打ち殺してしまいました。そこでまた母の神が泣きながら搜したので、見つけ出してその木をいて取り出してかして、その子に仰せられるには、「お前がここにいるとしまいには大勢の神にころされるだろう」と仰せられて、紀伊の國のオホヤ彦の神のもとに逃がしてやりました。そこで大勢の神が求めて追つて來て、矢をつがえて乞う時に、木のまたからぬけて逃げて行きました。
 そこで母の神が「これは、スサノヲの命のおいでになる黄泉の國に行つたなら、きつとよいはかりごとをして下さるでしよう」と仰せられました。そこでお言葉のままに、スサノヲの命の御所おんもとに參りましたから、その御女おんむすめのスセリひめが出て見ておあいになつて、それから還つて父君に申しますには、「大變りつぱな神樣がおいでになりました」と申されました。そこでその大神が出て見て、「これはアシハラシコヲの命だ」とおつしやつて、び入れて蛇のいるむろに寢させました。そこでスセリ姫の命が蛇の領巾ひれをその夫に與えて言われたことは、「その蛇が食おうとしたなら、この領巾ひれを三度振つて打ちはらいなさい」と言いました。それで大國主の命は、教えられた通りにしましたから、蛇が自然に靜まつたので安らかに寢てお出になりました。また次の日の夜は呉公むかではちとのむろにお入れになりましたのを、また呉公と蜂の領巾を與えて前のようにお教えになりましたから安らかに寢てお出になりました。次には鏑矢かぶらやを大野原の中に射て入れて、その矢をらしめ、その野におはいりになつた時に火をもつてその野を燒き圍みました。そこで出る所を知らないで困つている時に、鼠が來て言いますには、「うちはほらほら、そとはすぶすぶ」と言いました。こう言いましたからそこを踏んで落ちて隱れておりました間に、火は燒けて過ぎました。そこでその鼠がその鏑矢を食わえ出して來て奉りました。その矢のはねは鼠の子どもが皆食べてしまいました。
 かくておきさきのスセリひめは葬式の道具を持つて泣きながらおいでになり、その父の大神はもう死んだとお思いになつてその野においでになると、大國主の命はその矢を持つて奉りましたので、家に連れて行つて大きな室に呼び入れて、頭のしらみを取らせました。そこでその頭を見ると呉公むかでがいつぱいおります。この時にお妃がむくの木の實と赤土とを夫君に與えましたから、その木の實をやぶり赤土を口に含んで吐き出されると、その大神は呉公をい破つて吐き出すとお思いになつて、御心に感心にお思いになつて寢ておしまいになりました。そこでその大神の髮をつてその室の屋根のたる木ごとに結いつけて、大きな巖をその室の戸口に塞いで、お妃のスセリ姫を背負せおつて、その大神の寶物の大刀たち弓矢ゆみや、また美しい琴を持つて逃げておいでになる時に、その琴が樹にさわつて音を立てました。そこで寢ておいでになつた大神が聞いてお驚きになつてその室を引き仆してしまいました。しかしたる木に結びつけてある髮を解いておいでになる間に遠く逃げてしまいました。そこで黄泉比良坂よもつひらさかまで追つておいでになつて、遠くに見て大國主の命を呼んで仰せになつたには、「そのお前の持つている大刀や弓矢を以つて、大勢の神をば坂の上に追い伏せ河のに追いはらつて、自分で大國主の命となつてそのわたしのむすめのスセリ姫を正妻として、ウカの山の山本に大磐石だいばんじやくの上に宮柱を太く立て、大空に高く棟木むなぎを上げて住めよ、このやつめ」と仰せられました。そこでその大刀弓を持つてかの大勢の神を追いはらう時に、坂の上毎に追い伏せ河の瀬毎に追いはらつて國を作り始めなさいました。
 かのヤガミひめは前の約束通りに婚姻なさいました。そのヤガミ姫をれておいでになりましたけれども、おきさきのスセリ姫を恐れて生んだ子を木のまたにさし挾んでお歸りになりました。ですからその子の名を木の俣の神と申します。またの名は御井みいの神とも申します。

ヤチホコの神の歌物語

――長い歌の贈答を中心とした物語で、もと歌曲として歌い傳えられたもの。――

 このヤチホコの神(大國主の命)が、越の國のヌナカハ姫と結婚しようとしておいでになりました時に、そのヌナカハ姫の家につてお詠みになりました歌は、

ヤチホコの神樣は、
方々の國で妻を求めかねて、
遠い遠いこしの國に
かしこい女がいると聞き
美しい女がいると聞いて
結婚におましになり
結婚におかよいになり、
大刀たちもまだ解かず
羽織はおりをもまだがずに、
娘さんの眠つておられる板戸を
押しゆすぶり立つていると
引き試みて立つていると、
青い山ではヌエが鳴いている。
野の鳥のきじは叫んでいる。
庭先でニワトリも鳴いている。
腹が立つさまに鳴く鳥だな
こんな鳥はやつつけてしまえ。

下におります走り使をする者の
ことかたつたえはかようでございます。

 そこで、そのヌナカハ姫が、まだ戸をけないで、家の内で歌いました歌は、

ヤチホコの神樣、
しおれた草のような女のことですから
わたくしの心は漂う水鳥、
いまこそわたくしどりでも
のちにはあなたの鳥になりましよう。
いのちながくおあそばしませ。

下におります走り使をする者の
ことかたつたえはかようでございます。

青いやまかくれたら
眞暗まつくらになりましよう。
朝のお日樣ひさまのようににこやかに來て
コウゾの綱のような白い腕、
泡雪のような若々しい胸を
そつと叩いて手をとりかわし
玉のような手をまわして
足をばしてお休みなさいましようもの。
そんなにわびしいおもいをなさいますな。
ヤチホコの神樣かみさま

ことかたつたえは、かようでございます。

 それで、その夜はおいにならないで、翌晩おいなさいました。
 またその神のおきさきスセリ姫の命は、大變たいへん嫉妬深しつとぶかかたでございました。それをおつとの君は心く思つて、出雲から大和の國にお上りになろうとして、お支度遊ばされました時に、片手は馬の鞍に懸け、片足はそのあぶみに蹈み入れて、おうたい遊ばされた歌は、

カラスオウギいろの黒い御衣服おめしもの
十分に身につけて、
水鳥のように胸を見る時、
羽敲はたたきも似合わしくない、
波うち寄せるそこに脱ぎ棄て、
翡翠色ひすいいろの青い御衣服おめしもの
十分に身につけて
水鳥のように胸を見る時、
羽敲はたたきもこれも似合わしくない、
波うち寄せるそこに脱ぎ棄て、
山畑やまはたいた茜草あかねぐさいて
染料の木の汁で染めた衣服を
十分に身につけて、
水鳥のように胸を見る時、
羽敲はたたきもこれはよろしい。
むつましのわが妻よ、
鳥のむれのようにわたしが群れて行つたら、
引いてく鳥のようにわたしが引いて行つたら、
泣かないとあなたは云つても、
山地やまぢに立つ一本薄いつぽんすすきのように、
うなだれてあなたはお泣きになつて、
朝の雨の霧に立つようだろう。
若草のようなわが妻よ。

ことかたつたえは、かようでございます。

 そこで、そのおきさきが、酒盃さかずきをお取りになり、立ち寄り捧げて、お歌いになつた歌、

ヤチホコの神樣かみさま
わたくしの大國主樣おおくにぬしさま
あなたこそ男ですから
※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つている岬々みさきみさき
※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つているさきごとに
若草のような方をお持ちになりましよう。
わたくしはおんなのことですから
あなた以外に男は無く
あなた以外におつとはございません。
ふわりとれた織物おりものの下で、
あたたかふすまやわらかしたで、
しろふすまのさやさやとしたで、
泡雪あわゆきのような若々しい胸を
コウゾの綱のような白い腕で、
そつと叩いて手をさしかわし
玉のような手を※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)して
足をのばしてお休み遊ばせ。
おいしいおさけをおあがあそばせ。

 そこでさかずきかわして、つて、今日までもしずまつておいでになります。これらの歌は神語かむがたりと申す歌曲かきよくです。

系譜

――出雲系の、ある豪族の家系を語るもののようである。――

 この大國主の神が、※形むなかた[#「匈/(胃-田)」、U+80F7、230-14]の沖つ宮においでになるタギリ姫の命と結婚して生んだ子はアヂスキタカヒコネの神、次にタカ姫の命、またの名はシタテル姫の命であります。このアヂスキタカヒコネの神は、今カモの大御神と申す神樣であります。
 大國主の神が、またカムヤタテ姫の命と結婚して生んだ子は、コトシロヌシの神です。またヤシマムチの神のむすめのトリトリの神と結婚して生んだ子は、トリナルミの神です。この神がヒナテリヌカダビチヲイコチニの神と結婚して生んだ子は、クニオシトミの神です。この神がアシナダカの神、またの名はヤガハエ姫と結婚して生んだ子は、ツラミカノタケサハヤヂヌミの神です。この神がアメノミカヌシの神の女のサキタマ姫と結婚して生んだ子は、ミカヌシ彦の神です。この神がオカミの神の女のヒナラシ姫と結婚して生んだ子は、タヒリキシマミの神です。この神がヒヒラギのソノハナマヅミの神の女のイクタマサキタマ姫の神と結婚して生んだ子は、ミロナミの神です。この神がシキヤマヌシの神の女のアヲヌマヌオシ姫と結婚して生んだ子は、ヌノオシトミトリナルミの神です。この神がワカヒルメの神と結婚して生んだ子は、アメノヒバラオホシナドミの神です。この神がアメノサギリの神の女のトホツマチネの神と結婚して生んだ子は、トホツヤマザキタラシの神です。
 以上ヤシマジヌミの神からトホツヤマザキタラシの神までを十七代の神と申します。

スクナビコナの神

――オホアナムチの命としばしば竝んで語られるスクナビコナの神は、農民の間に語り傳えられた神で、ここでは蔓芋の種の擬人化として語られている。――

 そこで大國主の命が出雲いずも御大みほ御埼みさきにおいでになつた時に、なみうえ蔓芋つるいものさやをつて船にしての皮をそつくりいで著物きものにしてつて來る神樣があります。その名を聞きましたけれども答えません。また御從者おともの神たちにお尋ねになつたけれども皆知りませんでした。ところがひきがえるがうことには、「これはクエ彦がきつと知つているでしよう」と申しましたから、そのクエ彦を呼んでお尋ねになると、「これはカムムスビの神の御子みこでスクナビコナの神です」と申しました。依つてカムムスビの神に申し上げたところ、「ほんとにわたしの子だ。子どもの中でもわたしの手のまたからこぼれて落ちた子どもです。あなたアシハラシコヲの命と兄弟となつてこの國を作り堅めなさい」と仰せられました。それでそれから大國主とスクナビコナとお二人が竝んでこの國を作り堅めたのです。後にはそのスクナビコナの神は、海のあちらへ渡つて行つてしまいました。このスクナビコナの神のことを申し上げたクエ彦というのは、今いう山田の案山子かかしのことです。この神は足はあるきませんが、天下のことをすつかり知つている神樣です。

御諸山の神

――大和の三輪山にある大神おおみわ神社の鎭坐の縁起である。――

 そこで大國主の命が心憂く思つて仰せられたことは、「わたしはひとりではどのようにしてこの國を作り得ましよう。どの神樣と一緒にわたしはこの國を作りましようか」と仰せられました。この時に海上を照らして寄つて來る神樣があります。その神の仰せられることには、「わたしに對してよくお祭をしたら、わたしが一緒になつて國を作りましよう。そうしなければ國はできにくいでしよう」と仰せられました。そこで大國主の命が申されたことには、「それならどのようにしてお祭を致しましよう」と申されましたら、「わたしを大和の國の青々と取り圍んでいる東の山の上にお祭りなさい」と仰せられました。これは御諸みもろの山においでになる神樣です。

大年の神の系譜

――前に出たスサノヲの命の系譜の中の大年の神の系譜で、一年中の耕作の經過を系譜化したものである。耕作に關する祭の詞から拔け出したものと見られる。――

 オホトシの神が、カムイクスビの神の女のイノ姫と結婚して生んだ子は、オホクニミタマの神、次にカラの神、次にソホリの神、次にシラヒの神、次にヒジリの神の五神です。またカグヨ姫と結婚して生んだ子は、オホカグヤマトミの神、次にミトシの神の二神です。またアメシルカルミヅ姫と結婚して生んだ子はオキツ彦の神、次にオキツ姫の命、またの名はオホヘ姫の神です。これは皆樣の祭つているかまどの神であります。次にオホヤマクヒの神、またの名はスヱノオホヌシの神です。これは近江の國の比叡山ひえいざんにおいでになり、またカヅノの松の尾においでになる鏑矢かぶらやをお持ちになつている神樣であります。次にニハツヒの神、次にアスハの神、次にハヒキの神、次にカグヤマトミの神、次にハヤマトの神、次にニハノタカツヒの神、次にオホツチの神、またの名はツチノミオヤの神の九神です。
 以上オホトシの神の子のオホクニミタマの神からオホツチの神まで合わせて十六神です。
 さてハヤマトの神が、オホゲツ姫の神と結婚して生んだ子は、ワカヤマクヒの神、次にワカトシの神、次に女神のワカサナメの神、次にミヅマキの神、次にナツノタカツヒの神、またの名はナツノメの神、次にアキ姫の神、次にククトシの神、次にククキワカムロツナネの神です。
 以上ハヤマトの神の子のワカヤマクヒの神からワカムロツナネの神まで合わせて八神です。