縄文・弥生・古墳期とSOV言語

古代人口の地政学的、政治・経済学(1~5)

日本人とは・再検証

東アジア政争と難民史

古代人口の推移

①縄文時代には約10万人∼約26万 人(※1)であり、弥生時代には約60万人(※2)であった。 古墳時代(※3)奈良時 代には約450万人、平安時代(900年)には約550万 人となり、慶長時代(1600年)には約1,220万人とな った。
(ウイキペディア出典)

(※部)筆者神谷昭挿入

(※1)寒冷化で縄文晩期は7万6千人まで減少した。

(※2)弥生期になり、春秋戦国の大陸乱世(孔子、孟子、孫氏など諸子百家時代を通して)から漢族と揚子江南の稲作民らが、海を越え列島へと流入(避難民)してきた。人口は59万人まで増加した。

(※3)弥生晩期から古墳期には、再び三国史で語られる中原の乱が大陸で100年続き、朝鮮半島経由で大規模な難民流入が起こった。大陸人口は4,000万人から1,000万人に減少した。日本列島には、支配層、エリート層、一般民層を含め波状的に食と生活の場を求め、難民流入が継続的に起こった。避難民人口はピーグで450万人に達した。古墳時代と言うより「巨大難民津波時代」と名付ける方が現実を言い当てていると思う。

初期ヤマト政権の人口構成は、縄文人1割、弥生人2割、古墳人7割で、9割が短期間で大陸の大乱で直接、半島経由で避難してきた民であった。

縄文後期の人口
約76,000人

東京大学の研究グループが
現代の日本人男性のDNA解析

弥生時代の人口
約590,000人

歴史人口学の鬼頭宏(2007)日本の人口の超長期推移をグラフ(出典)

本研究のテーマ


縄文人の初期政権から百済政権への移行

縄文期&卑弥呼&藤原不比等まで

【神谷昭説】
1,ヤマト民は、SOV型言語と母音類似語彙で、縄文人は弥生期、古墳期の移住民と言葉が通じ合っていた。

2,魏志倭人伝に記載の邪馬台国は、宮崎平野にあって縄文系の強い国であったが、筑紫・熊本の投馬国とも連携、伊那国を前線司令塔として九州30か国を統合していた。南の隼人縄文人の国とは、対立関係にあった。

3,卑弥呼は日向、高千穂に葬られるが、後継の壱与が、卑弥呼の弟の補佐で、国をまとめた。

4,北九州へ、大陸と半島から「大陸戦乱の結果、大量に波状的に押し寄せる避難民」を、邪馬台国と同盟する国々を組織化し、武装連合国家化した。そして、移住民のリーダー達の支援を得て、東の倭種国(出雲、吉備,讃岐、越前)に避難民をふりわけつつ、交戦・連携して、大稲作盆地である機内の大耕作地の確保に向かうこととなった。

5,邪馬台国は、馬の飼育を行い軍馬とし、鉄器は投馬国で生産、兵は外来の軍経験者を束ね、参謀に移住民のリーダー核を当て、急速な軍事化を行った。

6,AD240年、魏の皇帝より親魏倭王の金印紫綬の倭王の印綬を得、卑弥呼は倭王の称号を得、「卑弥呼の弟」を総大将に任命した。準備万端であった東征の命令を発した。全国統一の実施である。

7,大阪平野や奈良盆地で開墾を手掛けていた出雲系縄文系の民や、先住の弥生人たちとは、極力争わず、政権運営を邪馬台国に委ねてもらった。当然、当時の各地(敦賀、吉備、讃岐、土佐など)の「実力者たち」には、軍事行動の目的を話し、協力を得た。

8,人口が10倍に膨れ上がる「半島からの避難民対策」に協力を得た。避難民を「農民化して各地へ分散移住」させることに成功しヤマトに旗をたてた。

9,九州情勢は不穏であった。邪馬台国では卑弥呼が政権運営するも対立関係にあった南の狗奴国との争い半ばで彼女は高齢でもあり他界する。

10、後継に、男の王を建てるも内紛となり、「卑弥呼の宗女、壱与(イヨ)、年十三、を立てて王と為し、国中が遂に治まった張政たちは檄をもって壱与に教え諭した魏志倭人伝)以後、20年間、張政は倭国にとどまった。

11、卑弥呼の弟(東征の総大将)は張政を参謀とし、内外の難関を処理、従軍し協力した豪族を束ね、大陸や半島からの入植者の智慧や技術を得て、奈良大和盆地にヤマト政権を樹立し、全国統一を果たした。(「卑弥呼、ヤマト統一」で詳細記述)

12,その後、朝鮮半島の各国とのいくつかの交戦を交え、古墳期を乗り越えてゆく。

13,前方後円墳は、農地確保からでる排出土石を集めた場所で、整備後、その地のリーダーの墓とした。一気に全国に新田開発の波が起こった。古墳が次から次へとつくられていった。ここに「水穂の国・日本」が生まれた。

以上を後述で証明しましょう。
日本史の不可解性
すでに漢字があり、歴史記録者がおり、それらの書き物をすべて焼き、当時を「「神話化」し「神社化」して不明瞭にしてきた者たちがおった、それ故に、日本人のはじまりが不明瞭で、日本人の進む方向も不明瞭にしてしまっている。

私は、出来るだけ、既住者59万人の8倍近い400万人もの難民流入を受け入れ、民族絶滅戦争もなく、和して、「日本人を創り出した」古代日本人に敬意を表するとともに、「史実」に即して歴史を見直してみたいと思ています。目的は、未来の日本人の参考になればと思います。

4種類の日本流入

言語から読み解く
日本人ルート

日本列島への渡来人は、①朝鮮半島人か、⓶半島で留まり文法を獲得したか、➂縄文人と同じ「SOV型文法」の民族であったか、④語彙発音で共通性があり、同化したか、の4種と考えられます。

日本語族と朝鮮族の関係はSOV型
共にアルタイ語族の一員です。SOV文法構造での高い類似性、基礎語彙については同系統の類似性はありません。ただし、日本成立には、半島がSOV型であったことは、偶然にしろ、日本にとっての、必要条件でした。

西遼河流域、朝鮮半島の北のほうに雑穀農耕民の言葉が日本語や韓国語の起源になった。他からきていた北からのアルタイ系ツングースの縄文人のSOVと衝突せずに雑穀農耕民が渡来したと考えられる。

異なる文法に代えるのは大変です
語彙を覚えるだけなら容易です
日本は支配されていません
難民受け入れ列島でした
4種の民は統合しました

渡来人を4種に区分し歴史を観察してみます。