二、天照大神とスサノヲの命
誓約
――暴風の神であり出雲系の英雄でもあるスサノヲの命が、高天の原に進出し、その主神である天照らす大神との間に、誓約の行われることを語る。誓約の方法は、神祕に書かれているが、これは心を清めるための行事である。結末においてさまざまの異系統の祖先神が出現するのは、それらの諸民族が同系統であることを語るものである。――
そこでスサノヲの命が仰せになるには、「それなら天照らす大神に申しあげて黄泉の國に行きましよう」と仰せられて天にお上りになる時に、山や川が悉く鳴り騷ぎ國土が皆振動しました。
それですから天照らす大神が驚かれて、「わたしの弟が天に上つて來られるわけは立派な心で來るのではありますまい。
わたしの國を奪おうと思つておられるのかも知れない」と仰せられて、髮をお解きになり、左右に分けて耳のところに輪にお纏きになり、その左右の髮の輪にも、頭に戴かれる鬘にも、左右の御手にも、皆大きな勾玉の澤山ついている玉の緒を纏き持たれて、背には矢が千本も入る靱を負われ、胸にも五百本入りの靱をつけ、また威勢のよい音を立てる鞆をお帶びになり、弓を振り立てて力強く大庭をお踏みつけになり、泡雪のように大地を蹴散らかして勢いよく叫びの聲をお擧げになつて待ち問われるのには、「どういうわけで上つて來られたか」とお尋ねになりました。
そこでスサノヲの命の申されるには、「わたくしは穢い心はございません。ただ父上の仰せでわたくしが哭きわめいていることをお尋ねになりましたから、わたくしは母上の國に行きたいと思つて泣いておりますと申しましたところ、父上はそれではこの國に住んではならないと仰せられて追い拂いましたのでお暇乞いに參りました。變つた心は持つておりません」と申されました。
そこで天照らす大神は、「それならあなたの心の正しいことはどうしたらわかるでしよう」と仰せになつたので、スサノヲの命は、「誓約を立てて子を生みましよう」と申されました。
よつて天のヤスの河を中に置いて誓約を立てる時に、天照らす大神はまずスサノヲの命の佩いている長い劒をお取りになつて三段に打ち折つて、音もさらさらと天の眞名井の水で滌いで囓みに囓んで吹き棄てる息の霧の中からあらわれた神の名はタギリヒメの命またの名はオキツシマ姫の命でした。
次にイチキシマヒメの命またの名はサヨリビメの命、次にタギツヒメの命のお三方でした。
次にスサノヲの命が天照らす大神の左の御髮に纏いておいでになつた大きな勾玉の澤山ついている玉の緒をお請けになつて、音もさらさらと天の眞名井の水に滌いで囓みに囓んで吹き棄てる息の霧の中からあらわれた神は
マサカアカツカチハヤビアメノオシホミミの命、
次に右の御髮の輪に纏かれていた珠をお請けになつて囓みに囓んで吹き棄てる息の霧の中からあらわれた神はアメノホヒの命、
次に鬘に纏いておいでになつていた珠をお請けになつて囓みに囓んで吹き棄てる息の霧の中からあらわれた神はアマツヒコネの命、
次に左の御手にお纏きになつていた珠をお請けになつて囓みに囓んで吹き棄てる息の霧の中からあらわれた神はイクツヒコネの命、
次に右の御手に纏いておいでになつていた珠をお請けになつて囓みに囓んで吹き棄てる息の霧の中からあらわれた神はクマノクスビの命、
合わせて五方の男神が御出現になりました。
ここに天照らす大神はスサノヲの命に仰せになつて、「この後から生まれた五人の男神はわたしの身につけた珠によつてあらわれた神ですから自然わたしの子です。
先に生まれた三人の姫御子はあなたの身につけたものによつてあらわれたのですから、やはりあなたの子です」と仰せられました。
その先にお生まれになつた神のうちタギリヒメの命は、九州の※形の沖つ宮においでになります。
次にイチキシマヒメの命は形の中つ宮においでになります。次にタギツヒメの命は形の邊つ宮においでになります。この三人の神は、形の君たちが大切にお祭りする神樣であります。
そこでこの後でお生まれになつた五人の子の中に、アメノホヒの命の子のタケヒラドリの命、これは出雲の國の造・ムザシの國の造・カミツウナカミの國の造・シモツウナカミの國の造・イジムの國の造・津島の縣の直・遠江の國の造たちの祖先です。
次にアマツヒコネの命は、凡川内の國の造・額田部の湯坐の連・木の國の造・倭の田中の直・山代の國の造・ウマクタの國の造・道ノシリキベの國の造・スハの國の造・倭のアムチの造・高市の縣主・蒲生の稻寸・三枝部の造たちの祖先です。
天の岩戸
――祓によつて暴風の神を放逐することを語る。はじめのスサノヲの命の暴行は、暴風の災害である。――
そこでスサノヲの命は、天照らす大神に申されるには「わたくしの心が清らかだつたので、わたくしの生んだ子が女だつたのです。
これに依つて言えば當然わたくしが勝つたのです」といつて、勝つた勢いに任せて亂暴を働きました。
天照らす大神が田を作つておられたその田の畔を毀したり溝を埋めたりし、また食事をなさる御殿に屎をし散らしました。
このようなことをなさいましたけれども天照らす大神はお咎めにならないで、仰せになるには、「屎のようなのは酒に醉つて吐き散らすとてこんなになつたのでしよう。それから田の畔を毀し溝を埋めたのは地面を惜しまれてこのようになされたのです」と善いようにと仰せられましたけれども、その亂暴なしわざは止みませんでした。
天照らす大神が清らかな機織場においでになつて神樣の御衣服を織らせておいでになる時に、その機織場の屋根に穴をあけて斑駒の皮をむいて墮し入れたので、機織女が驚いて機織りに使う板で陰をついて死んでしまいました。
そこで天照らす大神もこれを嫌つて、天の岩屋戸をあけて中にお隱れになりました。
それですから天がまつくらになり、下の世界もことごとく闇くなりました。永久に夜が續いて行つたのです。
そこで多くの神々の騷ぐ聲は夏の蠅のようにいつぱいになり、あらゆる妖がすべて起りました。
こういう次第で多くの神樣たちが天の世界の天のヤスの河の河原にお集まりになつてタカミムスビの神の子のオモヒガネの神という神に考えさせてまず海外の國から渡つて來た長鳴鳥を集めて鳴かせました。
次に天のヤスの河の河上にある堅い巖を取つて來、また天の金山の鐵を取つて鍛冶屋のアマツマラという人を尋ね求め、イシコリドメの命に命じて鏡を作らしめ、タマノオヤの命に命じて大きな勾玉が澤山ついている玉の緒の珠を作らしめ、アメノコヤネの命とフトダマの命とを呼んで天のカグ山の男鹿の肩骨をそつくり拔いて來て、天のカグ山のハハカの木を取つてその鹿の肩骨を燒いて占わしめました。
次に天のカグ山の茂つた賢木を根掘ぎにこいで、上の枝に大きな勾玉の澤山の玉の緒を懸け、中の枝には大きな鏡を懸け、下の枝には麻だの楮の皮の晒したのなどをさげて、フトダマの命がこれをささげ持ち、アメノコヤネの命が莊重な祝詞を唱え、アメノタヂカラヲの神が岩戸の陰に隱れて立つており、アメノウズメの命が天のカグ山の日影蔓を手襁に懸け、眞拆の蔓を鬘として、天のカグ山の小竹の葉を束ねて手に持ち、天照らす大神のお隱れになつた岩戸の前に桶を覆せて踏み鳴らし神懸りして裳の紐を陰に垂らしましたので、天の世界が鳴りひびいて、たくさんの神が、いつしよに笑いました。
そこで天照らす大神は怪しいとお思いになつて、天の岩戸を細目にあけて内から仰せになるには、「わたしが隱れているので天の世界は自然に闇く、下の世界も皆闇いでしようと思うのに、どうしてアメノウズメは舞い遊び、また多くの神は笑つているのですか」と仰せられました。
そこでアメノウズメの命が、「あなた樣に勝つて尊い神樣がおいでになりますので樂しく遊んでおります」と申しました。
かように申す間にアメノコヤネの命とフトダマの命とが、かの鏡をさし出して天照らす大神にお見せ申し上げる時に天照らす大神はいよいよ不思議にお思いになつて、少し戸からお出かけになる所を、隱れて立つておられたタヂカラヲの神がその御手を取つて引き出し申し上げました。
そこでフトダマの命がそのうしろに標繩を引き渡して、「これから内にはお還り入り遊ばしますな」と申しました。
かくて天照らす大神がお出ましになつた時に、天も下の世界も自然と照り明るくなりました。
ここで神樣たちが相談をしてスサノヲの命に澤山の品物を出して罪を償わしめ、また鬚と手足の爪とを切つて逐いはらいました。